人間関係でも仕事でも「信用」が大事

 

先日、十数年ぶりに同級生と飲む機会があった。小・中と同じ学校で同じクラスにも何回かなったことがあり、中学の時の部活が同じだったくらいだ。

頭がよく、勉強は頑張って結果を出していて、その流れからか医者になった唯一の同級生なので自分にとってはちょっと変わった人種だなと思う人。しかも、頭が良いことを鼻にかけていて性格が良いとは言えなかった(本人が認めている)が、個性の一つくらいにしか周りは思ってなかったかもしれない。後に高校がトップ校でモンスターみたいなヤツに囲まれたり、医学部に行ってさらに鬼のように頭がいい人と出会って自尊心がいい具合のところに落ち着いているアラサーになっているのは面白かった。

 

どうしてもあまり共通点がない人と話す会話はある程度一般的にできる「人間関係」や「恋愛」や「仕事」あたりに落ち着く。もちろん、「趣味」とか「好きなこと」の話もできるのだが、オタク度が高すぎるとわけがわからなくなるしお互い不幸になりかねないのでこういう話題には注意が必要だと思っている。

仕事の話になり、その同級生が言うには病気の診断や手術の際に責任がありミスすると裁判沙汰になるリスクがある。だから成功確率を正確に伝えたりリスクを伝えて治療法の方針を患者の意向を汲みながら決定していると。それでも上手くいくことばかりではないし、説明責任を果たし最善を尽くすことしかできないということを言っていた。自分の仕事はシステム化することで作業の効率化をすることが目的になるが、これも問題解決をしてクライアントの利益になることという点は同じだ。そのためにはクライアントとはもちろん、社内の上司や先輩や同僚や部下や後輩と信頼関係が必要になる。そして、信頼関係が崩れることでクライアントを失い、最悪の場合訴訟なんていうことが起こってくるところも同じだ。そりゃ、システムと人の命だと人の命の方がずっと重いので、医者の仕事の方が人間にとって大事なのは間違いない。

 

そんな話をしていたら場も盛り上がってきて「恋愛」の話になった。異性がいる飲み会に参加するときに恋人に何て言うか?という話になり、その同級生はそのままを伝え、それで文句を言うような人とは付き合わないというのだ。強気な発言なのは良いのだが、実際は用事があるとか飲み会とかザックリ伝えてそれ以上詳しく訊かれたら答える程度ぐらいが落としどころになった。もちろん、それは恋人にも同じ程度のことしか求めないことになる。そこで「他人のことを疑ったらキリがない」という自分の経験からの考えを言ってみたところ、丁度よい着地点になった。信頼するというよりは、疑わしきは罰せずだが、本当に疑わしいと思う時だけちゃんと調べればよいことなのだ。こんな考え方で適度に相手に距離があるタイプだったからこそまとまった気がする。

 

やはり信頼できない人とは(特に仕事では)関わりたくないし、仕事を任せられないし自分の責任の一部でも渡そうと思わない。同様に恋人が信用できないなら改善を求めて、それでも改善されないなら別れてしまうだろう。甘えが一切許されないとは言わないし許容範囲は人それぞれ違うのだが、相手との信頼を失くしてしまってはお終いなのだと感じた日だった。