If you can dream it, you can do it.

元タイトル「北の大地のIT技術屋より」

自分の手で未来を望んで手のを伸ばすことの大事さ

 

年を重ねていくと、自ら選んだ未来だと納得がいくけれど、そうでないと納得がいかないなんていう場面に出会う。でも、その時、自分がその未来に対して精一杯手を伸ばしたかってことは自分にとって大事なことなのかなと思うことがある。

 

自分は初受験が高校受験だった。それまで中学校の中間テストや期末テストで分かりやすく偏差値がつくことが初めてだった。そこで偏差値が高い教科は得意教科になったし、偏差値が低い教科は苦手教科になった。そして、最終的に高校受験は志望校よりも1ランク下げて安全圏内の高校を受けて合格した。でも、これは自分にとっては当たり前のことで、受かるべくして受かった感覚があった。もちろん、初めて頑張って勉強をしたし、その結果合格しているのだが、自分の能力としては当たり前だなと思ってしまった。

その結果、高校生活はあまり充実したものにならなかった。全体的な位置づけからも普通くらいの高校で、周りのレベルも自分と同じくらいなはずなのに他のクラスメイトや同学年の友達を下に見てしまった。そうすると、ここは自分の居場所ではないと思うようになって、本当はそんなに自分と変わらない人達と仲良くなれなくて暗黒の時代を過ごすことになった。

 

そこから大学受験で上を目指すのだけど、行きたい大学には受からなかった。結局、浪人をするのだけど、その時思ったのが「自分の手を伸ばして未来を掴もうとしないと、欲しい未来は手に入らない」ということだった。今までも努力をしたけれど、自分の手の届く範囲ばかりで、自分を超えるようなことはなかった。でも、この考え方を手に入れたおかげで失敗は怖くなくなった。バイトの面接で落とされても、就職の面接で落とされても、やりたいことができなくても、いい感じになった異性に振られても、まずは自分が欲しい未来に対して自分はアプローチをしたし、最大限考えて頑張ったのだからこれ以上はできないとあきらめることができる。ここまでやったのだから、自分はできないと自分の限界を知るポイントであった。

 

大事なことは自分の限界を理由に怠惰でいることで、自分の限界をもっと上げられないかとか、同じことに対してもっと別なアプローチをできなかったかと考えて自分を高められるかどうかということだと思う。もちろん、自分はいつもそういられるわけではないけれど、心掛けることでもっと高みを見てみたいという気持ちはある。あの時できなかったこが今できるようになることはあるからだ。

ま、ここから以前できたことが今できなくなるというのは次のライフステージの話で、人間の尊厳とはとか生きる意味とはということが再度問われることになりそうな気がしている。そういうことはその時考えればいい。あくまで今をどれだけ全力で過ごせて、良い結果を残せるか、自分を納得させられるかということに重点を置いて生きているんだなと思ったので、したためてみた。